自分らしく生きていく。自分を好きになる。 抜毛症Hさん

抜毛症で不利益にあったことはない!?

中学1年(13歳)の時、 はじめは眉毛・まつ毛から、髪の毛を抜くようになったんです。

特に自分で思い当たるきっかけはないのですが、もともと私はクラスからは少し浮いていたみたい。

夏休み明けから学校に通えなくなり、 特別支援学校(当時の養護学校)に通いました。

抜毛症になって辛いな、と感じることは「 自分に自信が持てなくなる」こと。

私の母親は脱毛症なんです。その母親が私の髪をアレンジするのが好きだったのに、私は自分自身で髪を抜いてしまう…。
こんな髪のない自分は価値がない…、 という思いに苦しんでいたこともありました。

抜毛症って自分で抜かなければいいわけだから、周りは理解できませんよね。
私は「抜こうと思って意識的に抜いている」のですが、でもなぜ抜きたいと思うは自分でもわかりません。
自分が理解できないことを他人に理解してほしいと思うのは矛盾しているようで、周り理解を求めることはしていません。

自分の将来について

将来は音楽家になりたくて、頑張っているところです。
幼い頃から音楽が好きだったんです。

将来のことを考える時に、今もすごく突き刺さっている言葉があって。
中学時代、心療内科で「 音楽が好きだけど、 こんな頭じゃ無理かも」といった時に、
医師から「一流になればカツラでもなんでも用意してもらえるんだから、 なれるように頑張る。そうなっちゃうかもしれないと考えるのは夢じゃない。」って言われたんです。

当時はすごくショックで。
音楽を夢にしたらダメかもと思ってしまったり。
でもいつしか発想の転換で、「よし、そうなるようにやってやろう!」って切り替えられました。

髪のないことを理由に夢を見ることすら諦めようとしていた私の考えを変えてくれた言葉です。

それからはその想いを胸に、音楽を頑張って、大学は音大に進むことができました。

私自身はずっと抜毛症ではあったけれど、自分なりにうまく付き合いながら、自分が本当に目指す将来を諦めずに進むことができています。

抜毛症の回復について

アルコール依存症と抜毛症は似ていると感じています。


やめたくてもやめられない。
社会的に不利益があるのにやめられない。
抜いたときの後悔。
病気そのものを治す治療がない。

アルコール依存症には完治がないように、抜毛症にも完治はないかもしれません。

抜毛症の回復というのは、「髪の毛を抜かないで過ごす」「抜く量を減らす」はもちろんですが
「その人がその人らしく堂々とその人の人生を歩んでいくこと」が一つの回復のモデルなのではと感じています。

自分らしく生きていく。自分を好きになる。

その人らしく生きていくためには、 今までの生活を見直して、 価値観・考え方を変えていく作業が必要です。

でも自分一人では変えていけない。

同じ症状の仲間と、安心して自分の気持ちを吐き出して整理して次のステップへ進める場所が必要だと思います。

自分を好きになるエッセンスは、 まずは素直になることを悪いことだと思わないこと。
やってみる・続けてみることが大事です。

何を持っても素直な自分が一番輝いているのですから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です