髪を失った強くなれた 指定難病Kさん
若年性パーキンソン病の発症
29歳のとき、若年性パーキンソン病(難病指定)になりました。体の筋肉が硬直して動かなくなる病気です。
当時は、仕事中によく転ぶようになっていました。
料理でみじん切りを細かく切るのが難しくなって不思議だなぁと思っていましたが、仕事が忙しい時期だったので単なる疲れかな、と。
もっと早く受診していれば、脱毛の副作用がある薬を飲まずにすんだかもしれないと、今でも後悔しています。
同窓会に行ったとき、医学部に進んだ友人から「歩き方がおかしいよ」と指摘され、脳神経外科の受診をすすめられて初めて受診しました。
結果は若年性パーキンソン病。
テレビで見かけるような難病に自分がかかるなんて、夢にも思っていませんでしたから。まさか自分が、と思いましたし、「すべてが終わった」とも感じました。
発症時の心情
医師から診断を告げられたときは、心が宙に浮いたようで、打ちのめされる自分と、それを冷静に見つめるもう一人の自分がいました。
診断のあとすぐに入院。毎日検査が続き、わけがわからないまま、個室で泣き続けました。
医師から突然、「障がい者手帳を申請してください」と言われたときは、驚きで言葉が出ませんでした。
今まで自分が「障がい者になる」なんて、考えたこともなかったのですから、心が折れそうに。
病気が進行したらどうなるのか、気にはなるものの、怖くて医師に聞くこともできませんでした。
ただ黙って受診して、薬だけもらって帰る…。そんな日々でした。
自分の病気のことを知るのが怖くて、医師とのコミュニケーションも、自分から遮断してしまっていました。
両親の反応
親の涙を見るのが、何よりもつらかったです。
入院中に面会に来た親が泣いている姿を見るたび、どうしていいかわからず、胸が張り裂けそうでした。
両親は家をバリアフリーに改築してくれましたが、逆に「私はなんて親不孝なんだろう」と自分を責めました。
本当なら、私が年老いた両親を介護する立場になるはずなのに
私は両親に介護されるかもしれない体になってしまった。
……当時は本当に苦しかったです。
入院を伝えるときも、どう伝えたらいいかわからなくて、看護師さんに電話を代わってもらいました。
自分で話したら泣いてしまうと思ったからです。
今でも、両親には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
脱毛のはじまり
パーキンソン病の治療は今も続いています。
5種類の薬を服薬し、病気自体はコントロールできていますが、副作用がかなり出ています。
発症から3年後、症状が悪化して強めの薬を飲み始めると、毎日吐き続ける日々が2週間ほど続きました。
吐き気がおさまったころから、頭がかゆくなり、シャンプーするたびに髪の毛がごっそり抜けるようになりました。
脳神経外科の紹介で皮膚科に行き、紫外線療法で治療できるかもしれないと言われましたが、検査の結果、紫外線アレルギーだとわかり、治療はできませんでした。
薬の副作用で髪が抜けるかもしれないことは事前に説明を受けていましたが、ここまでひどいとは。
医師にも、「ここまで脱毛が進んでしまった人は初めてだ」と言われました。
もちろんパーキンソン病の薬をやめる選択肢はなくて。
でも仕方ないとはいえ、髪を失うことは特別大きなショックでした。
ウィッグとの出会い~丸刈りへ
私はもともとファッションが大好き。ヘアスタイリングも大好きで、夜会巻きを楽しんだり、バンサンカン嬢なんて呼ばれるくらいでした。
だから 病気になっても、いつでもおしゃれでいたい。
それなのに、髪がごっそり抜け、まばらに。残った髪は櫛すら通らない。
美容室に行くと「薄くなってますね、パーマ液は無理ですね」と言われ、怖くなって美容室にも行けなくなりました。
2020年の元旦、思いきって丸刈りにしました。みそぎみたいな気持ちで。
残っている毛を気にして「ここも抜けるんじゃないか」と心配するより、全部なくしてしまったほうが、楽でした。
「抜けるかもしれない」という恐怖心からも解放され、それ以来、スキンヘッドにウィッグを使うスタイルになりました。
人前にスキンヘッドの状態で出る気持ち
今はウィッグも使うし、でもスキンヘッドで生活することも抵抗はありません。
流石に外出はしませんが、スキンヘッドで庭を散歩することにも、ポストに郵便物を取りに行くことにもしています。
毎日違うウィッグをつけているので、近所の人たちにはウィッグだということも知られています。
「かっこいいねぇ、ねぇちゃん!」「今日は素のままでいいね!」「今日は長いね」「今日は短いね」など、声をかけてもらえるのがうれしいです。
ウィッグマニアになるまで
最初に東京まで行って買った高額なウィッグは、見た目にもウィッグだとわかるものでした。
でも通販で買ったウィッグをかぶったとき、発症前のバンサンカン嬢時代の自分を思い出して、「これ素敵!これ素敵!!」と純粋に楽しめるようになったんです。
「髪がないっていいじゃん!」「毎日違う髪型ができるって最高じゃん!」
そんなふうに思えるようになりました。
今ではウィッグを69個も持っています(笑)
ウィッグは箱に入れて、空いている部屋のクローゼットにぎっしり積んでいます。 よりどりみどりです(笑)。
ウィッグを選ぶときは、軽さと顔映りにとてもこだわっています。
どんなによいウィッグでも、自分の顔の輪郭に合わないとウィッグだとすぐにばれてしまうからです。
ネットで既製品を買うときは、モデルさんの顔の輪郭が自分に似ているかどうかを見て選びます。
実際に届いてかぶってみたら、ちょっと違うなと思ってお蔵入りすることもありますが、失敗を重ねながら学んできました。
一番好きなウィッグは、リネアストリアの「天使のマニッシュショート」。
とにかく軽くて、つけていることを忘れるくらい。
一般的にウィッグは窮屈で痛いものと思われがちですが、このウィッグはつけたまま昼寝もできるほどフィット感がよく、違和感がありません。
本当に気持ちよく使えています。
彼へのカミングアウト
彼とは2年前からお付き合いしています。
脱毛してから出会ったので、最初からウィッグをかぶっていました。
地元のボランティアサークルで出会い、「どうして毎回髪型が違うんですか?」と聞かれたことがきっかけで、ウィッグをかぶっていることを伝えました。
すると彼は、「おもしろいのかぶってくださいよ」と笑って言ってくれて、ピンク色のウィッグをかぶって遊びに行ったこともありました。
つきあう前に、思い切ってカミングアウト。
彼のことが好きだったからこそ、ウィッグのことを伝えて引かれるなら、そこまでだと思ったのです。
「実は、はげなんです」と素直に話しました。
でも彼は全然引かずに、「おもしろいねー」「わかんないねー、ウィッグって」と自然に受け止めてくれました。
私がウィッグを前向きに楽しんでいる姿を見て、いいなと思ってくれたのかもしれません。
今では彼と一緒にウィッグを選びに行くこともあります。
新しいウィッグを買いに行ったときはテレビ電話をつないで、「どう?」と聞くと、「前髪が重たいからシャギー入れたほうがいいよ」なんてアドバイスしてくれたりします。
ウィッグであっても、変わらず接してくれる彼に、心から感謝しています。
発症当時の自分に声をかけるとしたら
もし、発症したばかりの自分に声をかけられるとしたら、こう言いたいです。
「大丈夫だよ。あなたは、そのあとずっと笑っているよ。泣いていないよ。
泣いているのは今だけ、あとは笑っている。笑って生きているからね。 今の涙は、今だけのもの。
いっぱい泣いたけれど、ウィッグマニアとして毎日を楽しむ未来が待っているから。
心配しなくていいよ。」
髪は失ったけれど、私はむしろ、強くなった気がします。